【コラム第61回】 日本人と宗教

 経営者であると同時に宮司でもある私には、確実に神道的な考え方が根付いています。しかしながら、これは私だけが特別にそうだということではないでしょう。
 もともと神道には、古来からの日本人の生き方、あるいは生活の知恵のようなものが数多く含まれています。そうだとすると、日本人であるみなさんにも、そのような神道的な考え方が多かれ少なかれ根付いているといえるのではないでしょうか。

 よく日本人は「無宗教だ」といわれます。海外の人たちが本当にそのように見ているかはともかくとして、「自分は無宗教である」と自覚している人が多いことは確かなようです。しかし、本当にそうなのでしょうか。
 日本では文化や生活そのものの中に、神道の精神が習慣として根付いているのではないかと思います。ところが、私たちはふだん、そのことをまったく意識していません。だから多くの人が「自分は無宗教である」と錯覚しているのだと思います。

 たとえば、日本ではたいていの人が、まわりの気持ちを考えながら生きています。相手が見知らぬ他人であっても、感情を害することを好んで行う人など滅多にいません。
 昔に比べて、日本人はドライになったとされていますが、それでも友人や知人との関係を悪化させてまで何かをやろうという人はあまりいません。これは神道に根ざした「和の精神」の為せる業だと私は考えています。

 和の精神というのは、どんな人ともなんでもかんでも仲良くするということではありません。波風を立てなければいいとか、自分を押し殺して相手に合わせればいいという「事なかれ主義」ではないのでする
 一言でいうなら、「和」というのは、それぞれが力を発揮する中で調和が起こり、新しい力が生まれている状態なのです。

 この「和」を実現するのはじつに難しいことです。それこそ相手や状況によって、柔軟に考えて対処していかなければなりません。
 じつは、これが神道の教えの曖昧さにつながっています。いつでもどんなときでも「かくあるべし」という態度では対処できないので、固定化した形で教えを示すことをしていないわけです。

 キリスト教には『聖書』があり、イスラム教には『コーラン』という教典があります。そこには「なすべきこと」、あるいは「なしてはいけないこと」がきちんと書かれています。これは唯一絶対の神を崇拝対象とする「一神教」の特徴でもあります。
 神道はこれらとは異なる「多神教」です。畏敬の念を持つ対象とする神様はたくさんいます。自然そのものや自然現象などの目に見えるもの、さらには目には見えないけど感じることができるすべてのものに神性を認めて敬っているのです。

  一神教と多神教では、このように神様との向き合い方がまったく異なります。そして、この考え方のちがいは、人との関わり方にもそのまま現れています。
 一神教的な考え方でいくと、絶対的に正しいのは自分ないし自分のグループだけということになります。自分と異なる考え方をする人は「異端」なので、その価値観や主張を決して受け入れることはできません。
 そのためこの種の考え方をしている人たちの間では、宗教戦争のような形のぶつかり合いが起こることがしばしばあります。

 多神教的な考え方をしている人たちは、そのあたりが非常に柔軟です。いろんなものに価値を認めているので、異質なものに接したときでも、警戒をすることはあれ「排除の意識」が単純に働くことがありません。
 日本人には、こうした多神教的な考え方が根付いています。それが仏教や近代文明など海外から伝えられた異質なものを取り込みながら独自の文化を発達させてきた大きな原動力になったというのは、誰もが認めることではないでしょうか。

 21世紀は「グローバリゼーションの時代」といわれています。グローバリゼーションというのは、社会的あるいは経済的などすべての事柄が、国家や地域などの境界を越えて、地球規模でなされるということを意味しています。
 しかしながら、世界には多種多様の考え方や価値観を持つ民族や国家があります。それらの人たちが等しく「絶対的に正しい自分の価値観」を主張していたら、地球規模で何かを行うことなどできません。
 これでは人類が一致協力するどころか、意見のぶつかり合いによって争いが絶えない世界になってしまうのは目に見えています。

 グローバル時代に必要なのは、異質な価値観であっても排除をせず、理解する努力をしながら全体をまとめていくことではないでしょうか。そのためには自分と異なる多種多様な価値観を認める多神教的な考え方が必要不可欠です。
 神道をベースにしている「日本的な考え方」には、そのような柔軟さがあります。世界有数の経済大国である日本は、国際社会の中のあらゆる場面で発言できる立場にもあります。私たちが自らの文化に誇りを持ち、国際社会の場で多様な価値観を受け入れながら解決策を見いだす柔軟な考えを広めていくことが求められているように思います。

池田 弘