【コラム第47回】 「社会」と「会社」考

  今回のコラムでは2つの言葉を取り上げたいと思います。「社会」と「会社」で、この2つの言葉は、日本がどのような国なのかを良く表していると考えています。 

 まず「社会」という言葉です。「お社(おやしろ)」で会う、と綴る言葉です。その綴りの通り、日本では、どの集落の中心にも古来より現代に至るまで「神」すなわち「お社」を中心にした人の集まりがありました。各地のお社で地域の神(氏神)のお祭りが催行されてきたのです。その祭りを中心に形成された集落を一つの単位として社会が構成されてきました。
 明治以降、英語のソサエティーの訳になった「社会」と言う言葉ですが、本来の意味は、こうした集落ごとの人々の集まりを呼称していたのでしょう。

  そして「社会」の並びを逆にした「会社」という言葉です。日本ではじめて「会社」という言葉が登場したのは、福沢諭吉の「西洋事情」の中だといわれています。英語のカンパニーの訳として諭吉が用いた言葉です。
 諭吉がここで「会社」と表現したのは、営利企業だけではなく学校や宗教のなどの組織をも含んでいたようです。すなわち「会社」と言う言葉には、金儲けだけではない意味が当初からあったのです。私はそこに、日本の「カイシャ」、そして「日本型経営」の持つ深い意味を見出す思いがします。
 日本の「会社」は、働く場としてだけではなく、人生の多くの時間を過ごす場としての意味を持つ場所です。その綴りは、「会って社を作る」と書きます。すなわち皆で「会」って、集まる場所「社」を作る。そこで約束事を作り、政(まつりごと)を行い、コミュニティーを形成する。それが日本の「会社」なのです。
 つまり、日本において「会社」とは市民社会の一つの形なのです。人が集い、資金を持ち寄り、理念や夢・ビジョンを示しあい、そうした事柄を実践する場なのです。

  今世界中を100年に一度と形容される大不況が襲っています。ひたすら利益の拡大を追求してきた欧米型の会社、その姿勢が巨大金融機関の信じられない破綻を招きました。
 その混乱を見るとき、利益追求を全てとしない日本の「会社」、そしていわゆる「日本型経営」の素晴らしさを再確認します。
 日本の経営では終身雇用、ワークシェアリングといった相互扶助の考え方が根底にあります。この考え方は何故生まれたのか?私は日本民族が農耕民族だったからだと考えています。農耕で成り立つ社会は、助け合わなければ食べていけない社会です。
 和をもって尊しとなす、と言う言葉に象徴されるように「社」を中心に助け合い、組織を作り、一体感を有する社会です。

 農業で収穫を得るために生まれた日本の「集落」の中心には「お社」がありました。現代の数十年、数百年続いているような会社の多くは神棚を持ち、屋上や庭にお社を祭っているところさえあります。そして繁栄、継続している会社の多くは、精神的支柱となる経営理念を持っています。
  何のためにその会社が存在し、何を目指すのかを内外に向けて表したものです。
  私が代表を務めるNSGグループでは、発足後間もなく、創業時からの思いを文章化し、経営理念としました。職員・社員はそのいわば企業の哲学である経営理念を共有して業務に当たっております。

  NSGグループ経営理念 

     人々の幸福と豊かさを実現するために

     社会のニーズに合った事業の可能性を追求し

     地域社会・国家・国際社会の発展に寄与する

 金を稼ぐだけの場ではない「会社」。そのような考え方で運営され成功を収めてきた日本の「会社」とは、人々が出会い、語り合い、様々な人間関係を築く場所、ワクワクして毎日を過ごすことのできるところでなければなりません。
 NSGグループがそのような場であり続けるため、常に初心に帰って経営理念・経営指針をより深く理解し、それに沿って真摯に行動してまいりたいと思っています。

池田 弘