【コラム第42回】歴史が語るわが街新潟

  私が塾長を務めている「未来塾」、10月は郷土史家の井上慶隆さんをゲスト講師にお招きしました。ドラマチックな歴史に彩られた新潟についてご講演いただき、改めて我が街新潟を見つめ直す良い機会となりました。
  井上氏は新潟について、「マジメな面」そして「ラジカルな面」さらには港町特有の「自由な面」などなどいくつもの顔を持った街だとおっしゃいます。新潟は、金沢や会津若松のような城下町ではなく、長野のような門前町でもない。町民文化が育てた街です。
  町民の持つ反骨精神とエネルギーが、しばしばお上にとって不都合な形で噴出した街でもありました。今に生きる私たちは、そうしたDNAを受け継いでいるのです。

  井上さんのお話をもとに、新潟の歴史を振り返ってみたいと思います。
  北前船で物や情報が出入りする自由闊達な気風を持ち、柳と堀の粋な街並みを船が行き来する情緒を慕って、江戸時代以降、多くの文人がその風土を慕って訪れています。かれらはその風情を愛で、時に七言律詩を時に短歌や俳句を残しています。入谷仙介や鈴木瑞枝らがそうした文人です。
  江戸時代の儒学者寺門静軒(てらかどせいけん)も新潟を訪れ愛した一人です。静軒は、ベストセラーとなった「江戸繁盛記」が風俗を乱すものとして幕府のお咎めを受け、江戸を追放されましたが、その後多くの要人を輩出した「両宜塾」を開いた自由人です。この静軒は新潟の自由な雰囲気を愛し、度々訪れています。
  町民の街、新潟のエネルギーや反骨精神は、時に凄まじい爆発を起こします。「明和義人」として語りつがれてきた事件が典型です。十代将軍家治と側用人田沼意次の、240年も前に町民が奉行所に代わり自治を行った事件。以前にもご紹介しましたが、パリコミューンを遡ること100年以上前、新潟の自主独立の精神と内に秘めたパワーを象徴しています。

  そして井上さんには「自由民権運動」に関するエピソードも紹介していただきました。
  自由民権運動は明治10年代に始まった、現在につながる民主主義の原点で、新潟も運動の拠点の一つでした。明治14年には日本最初の本格的な政党である自由党が東京で結成されましたが、幹事として国会開設運動などで活躍したのが山際七司です。
  明治16年の高田事件で逮捕されますが、戊辰戦争からわずか10数年の新潟で、自由を求める熱い活動家によるこうした動きがあったのです。

  こうした熱い血潮たぎる歴史を持つ新潟で、今再び新しい炎を見ることができると井上さんはおっしゃいます。アルビレックスのオレンジ色の炎や総踊りで燃え上がる若者たちの炎です。未来塾に集う若者たちもまた、新潟で燃えはじめた炎の一つです。
  明治の初め、新潟は日本で一、ニを争うような大県だったのです。この頃例えば、開港5港のうち横浜は、小さな漁村にすぎませんでしたその後、中央集権の下で人も金も太平洋側に集中投資されてきたのです。
  この140年間、地方は有能な人材を次々に輩出しました。しかし東京一極集中が加速したことは、様々な弊害をもたらしました。これからの繁栄にとって、地方が自立するという国のあり方が再度必要になっています。そのトップランナーとして、新潟は魅力ある都市であるべきなのです。
  中国やロシアの資源や市場、そしてヨーロッパと結ぶシベリア鉄道の貨物輸送における日本側の拠点、諸々一番条件の良い土地が新潟ではないですか。
  今再び新潟が先頭に立つチャンスが訪れようとしているのです。熱いDNAを持つ、誇るべき歴史を持つ新潟が日本をリードする時代が必ず訪れると確信しております。

池田 弘