【コラム第70回】 良寛考

「散る桜、残った桜も、散る桜」越後の生んだ僧で、俳句や和歌の名手であった良寛の辞世の句です。日本人的な無常観の感じられる句で、春になると時折この句が頭に浮かんできます。

良寛と言えば、皆さんはどんなイメージを思い浮かべるでしょうか。多くの方は、慈悲溢れる笑顔で子供たちと手毬をついて無心に遊ぶ、托鉢僧の姿ではないでしょうか。

托鉢行脚に明け暮れた良寛の人生は、「本来無一物」を掲げて失うもののない素晴らしさを追い求め、大乗仏教の「空」の教えを実践しました。

「吾唯知足」欲がないとあらゆる事に満ち足りた気持ちになる、という良寛の考え方です。私も人間が「足る」を知ることなく欲望のままに物質的な豊かさを求めていけば、世界はいずれ立ち行かなくなると思っています。

飽食の時代にあって、清貧を旨として生きた良寛さんの生き方は改めて注目すべきものだと思います。

良寛は、道元の「愛語」を座右の銘としていました。道元曰く「人々に接するに、まず慈悲の心をおこし、相手の心になって慈悲の言語をほどこすことである。およそ暴言や悪口をぶつけてはならない」。

私も言葉を大切にするよう心がけています。汚い言葉を使ったり、気持ちを偽って言葉を使ったりすることのないようにしています。言葉は考えや感情を伝えることのできる素晴らしい道具ですが、時として凶器にもなります。

良寛は、日本の書道の一つの到達点とまで称えられるほどの書の達人でもあります。その魅力は、飄逸、繊細、含蓄などと表現されていますが、力みが全くない天衣無縫という言葉がピッタリの書を残しています。

また良寛は、晩年になって貞心尼との恋の花を咲かせました。人間らしい一面をのぞかせるエピソードです。

良寛は青年時代のある日突如として名主の家を捨て、僧になる道を選びました。神社の跡取りとして生まれた私も、青年時代どう生きるか悩みぬいた末、神社を継ぐ一方で教育事業を立ち上げることにし、以来、神職と事業家の2足のわらじをはいて歩んで参りました。

良寛の父、山本左門泰雄はこの地区の名主・橘屋であり、石井神社の祠職を務めていた神道系の人だったということです。良寛とはいろいろ重なり、通じる部分があるような気がしています。

広く良寛の遺徳を顕彰しようという施設の計画が、新潟市で進められています。新潟市の古町通りに開設が予定されている「ふるまち良寛てまり庵」です。

私も親しくさせていただいている元新潟市長の長谷川義明さんは、全国良寛会の会長を務められており、そのご縁でわたしどものグループが所有するビルの1階をお貸しすることになりました。

てまり会、紙芝居、講演会などを随時開催するほか、来訪者に楽しく交流していただくため、コーヒーやお茶をいただきながら、良寛の掛け軸、関連図書、アニメ、映画、音楽などを常時見ることができるような施設になるということです。

この記念館が建設される上古(かみふる)と呼ばれる一角は、ご他聞に漏れずシャッター商店街になりかけた、古くからの商店街の通りです。しかしこのコラムでも以前ご紹介した「古町糀製造所」をはじめ、アロマのお店や輸入雑貨店、イタリア料理店などのお洒落なお店が、ここ数年次々とオープンして様変わりを見せています。

私が宮司を務める愛宕神社や船江大神宮もその一角にあります。是非一度「かみふる」を散策し「ふるまち良寛てまり庵」を訪れ、良寛に思いを馳せていただけたらと思います。

 

池田 弘