【コラム第13回】父と私

 父・池田次雄が三月二日に他界致しました。享年93歳でした。
 父は、新潟市の生まれで、地元の中学を終えると夢であった鉄道マンになるため、国鉄の鉄道局教習所専修部に進み、その夢をかなえ鉄道マンになりました。しかし、それも束の間で支那事変が勃発し昭和9年に召集された後、昭和20年の第二次世界大戦の終戦までの間3度召集されました。さすが3度目は戦局も厳しく、本人も周りも死を覚悟したそうです。戦前には良くあった話だそうですが、父と母は親同士が結婚を決め父が池田家に婿養子に入ることになり、戦争に行く前に内々で結婚式を挙げ、父は戦場に向かったそうです。戦後の昭和21年に帰還、その後国鉄に戻り働きました。すぐに長女が生まれ、昭和23年に神職の研修に入り、昭和24年に神明宮と愛宕神社に奉職するようになりました。長男の私と妹2人、一男三女に恵まれ、義父市三郎のもと神職として奉仕し、堅実で質素な生活を送っていました。今から四十年前である昭和42年に祖父が亡くなり、父が神明宮と愛宕神社の宮司を継ぎました。
 そんな父との思い出の1つに30年前の出来事があります。私が27才で従兄の渡辺敏彦さんと学校を創業した時のことです。父の双子の兄であり、渡辺敏彦さんの父でもある渡辺一雄さんと、父次雄に500万円ずつの出資と神社の境内につくる校舎建設に対する銀行借入2,000万円の保証人になってもらわないと出発できませんでした。公務員で3人の子供を育てていた叔父 一雄さんと、4人の子供を育てて質素に生活をしてきた私の父の2人にとって天地のひっくり返る話であり、断腸の思いだったと思います。初めは反対でしたが、最後には息子達を信頼し、だまってハンコを押してくれた姿が今でも忘れられません。
 本年NSGグループは30周年を迎えます。私が学校経営や他の事業に集中でき、ここまで経営者としてやってこれたのは、90才になった一昨年まで自転車に乗って氏子さん回りをしてお宮を守ってくれた父のお陰だと思っています。学校の事業や他の事業には一切口を出さず、時折健康に関する新聞の切り抜きに文章を沿えて励ましてくれました。
 この2年間は、肺気腫・悪性リンパ腫などで病院と自宅を往き来してきましたが、本人の「自宅療養がいい。」という希望があり、幸い3人の娘達が近所に住んでおりましたので、時間をやりくりしてもらい、24時間付きっきりの看病をすることができました。意識もしっかりし、食事もとることができ、娘達とともにほとんど在宅で過ごすことができました。
 今年の1月に体も衰弱して参りましたので、新潟市民病院に入院しましたが、3月2日、呼吸不全で眠るように息を引き取りました。いわゆる老衰だそうです。
 戦争など悲惨な体験はありましたが、家族はもとより、親戚・氏子さん達にも慕われ、幸せな一生を送ったことと思います。本人は生前とても感謝しておりました。故人に代わって心から御礼申し上げます。
 また、神道の祭式に則って行いました通夜祭・葬場祭には多くの方々にお越し頂きありがとうございました。父の気持ちを受け継いで今後もお宮の宮司として、また経営者として地域貢献に力を注いでまいりたいと考えております。今後ともよろしくお願い申し上げます。

池田 弘