【コラム第11回】「明和騒動」と「口之神社」

 新潟県の特産・名物はというと、「米」「酒」「雪」「朱鷺」などが知られてきました。また、新潟県人は、辛抱強く努力家ではあるが、あまり自己主張をしない・消極的というイメージのようです。
 一方で、近年は、アルビレックス新潟を応援する熱狂的なサポーターのことがテレビやラジオ等の全国ネットで放送されたり、全国紙や雑誌に紹介されたりするようになり、県民の熱い力で盛り上がる新潟というイメージも全国に発信されています。
 情熱といえば、江戸時代、新潟の市街地で町民達がそれぞれ仮装し、即興の音楽に合わせて3日3晩熱狂的に踊り続けたというお祭りがありました。それを再現する市民参加型の「新潟総踊り」が、新潟を代表するお祭りの1つになりつつあります。熱い魂を持つ新潟の人達が、独創的で情熱的な踊りで見せる表情は、とても消極的とは程遠いもので、この踊りからは強烈なエネルギーを感じずには得られません。
 このように、県民・市民の力で盛り上がる活気溢れる新潟のイメージが全国に広がっていくのは、新潟の活性化をライフワークとしている私にとって大変喜ばしいことです。

 さて、新潟市が古くからこうした民衆の熱く強いエネルギーを持つ港町であったという歴史は、私が宮司をしている愛宕神社の境内にある口之神社という小さなお社からも窺えます。
 この口之神社は、明治17年、御祭神に千葉県の口の宮の御祭神であります木内惣五郎(木内宗吾あるいは地名から佐倉宗五郎とも称す)の御分霊をお迎えし、新潟の義人湧井藤四郎と岩船屋佐次兵衛を合祀してお社が建立されました。
 なぜ千葉の神社の分社が新潟の愛宕神社境内に建てられたかについては、次のような歴史があります。

 正保2年(1645)、下総国佐倉十二万石は徳川3代将軍家光の信頼厚い堀田加賀守正盛が治めておりましたが、幕閣に参与し江戸に住まいすることが多く、藩地に帰ることがありませんでした。藩主の留守をいいことに私腹を肥やさんとした国家老池浦主計をはじめとする家臣達の悪政に対し、木内惣五郎を中心とした大きな農民一揆が起こりました。当然、一揆の重要人物達は極刑に処せられました。ところが、その後領主以下に度重なる凶事が続いたため、惣五郎の御霊を鎮めるために千葉に神社を建立したといわれています。

 新潟にも、民衆が持つ熱い魂を感じさせる事件がありました。それが、新潟の市街地で2ヶ月間に渡り町民自治が組織立って行われた「明和の騒動」と呼ばれる大きな一揆です。
 明和5年(1768)、新潟市の町は港町として長岡藩の一部でした。前年からの大飢饉により、長岡藩に納めなければならない1500両のうち、半金の750両は納めたものの残りの半金が捻出できませんでした。町民達は延分納をお願いしましたが、明和5年頃はどこも凶作で、新潟港には船の出入りもほとんど無く、米をはじめ生活物資は高騰し、町民の暮らし向きは大変苦しくなっていました。そこで、更に延期をお願いしましたが、藩の財政も苦しかったため受け入れてもらえませんでした。このとき立ちあがったのが、新潟の商人、湧井藤四郎です。延分納の嘆願書を提出しようと新潟町中の商人たちに呼びかけました。その動きが新潟町奉行所の知るところとなり、湧井藤四郎は投獄されました。
 その投獄を知った1000人近くの町民たちは、早鐘を合図に蜂起し、町役人宅や米屋などを打ち壊しました。手に負えなくなった町奉行は、とうとう湧井藤四郎を釈放、その後新潟町民は湧井藤四郎を中心に町民による政府を樹立しました。約2ヶ月間、町民だけで独立運営は続きましたが、長岡藩の策謀に遭い町民自治は弾圧され、湧井藤四郎や岩船屋佐次兵衛等の中心人物達は極刑に処せられました。

 その後、長い間この事件は町民や芸妓達の間で義人伝として口承されていました。しかし、江戸時代の当時、罪人として扱われた湧井藤四郎等をたたえ、神々としてお祀りしお社を建立することなどできるはずもありませんでした。
 明治になり、お社を建立することが国の許可制になると、町民達は何度も何度も時の政府にお社建立の嘆願をしました。 そして明治17年、同じ義民である佐倉惣五郎の御分霊を千葉からお迎えしやっとのことでお社建立の許可をもらい、湧井藤四郎と岩船屋佐次兵衛が合祀されたのでした。

 私は、世界で初めて民衆自治を行ったとされる「パリ・コミューン」の100年も前の封建時代に、町民自治を組織立って行った新潟町民を大変誇りに思います。そして、地方自治の分権が叫ばれ自立を求められる今の時代に、それに呼応するかのように、県民・市民の力で活気に満ち溢れる町をつくろうと取り組む新潟の人々を思うとき、口之神社に祀られている義人、湧井藤四郎、岩船屋佐兵衛をはじめとする新潟の民衆の情熱的な魂を受け継いでいると感じずにはいられません。

 口之神社は、新潟市古町2番町の愛宕神社境内にひっそりと建立された小さなお社ですが、そんな歴史を思い浮かべながらお立ち寄りいただけたら幸いと思います。

池田 弘