【コラム第75回】 「志」を持って生きるという事

 幕末の日本にあれだけ多くの人材が輩出されたのは、「我こそが日本を救うのだ」という「心の柱」を、若者たちが持ったからだと思います。
 そのために大きな役割を果たしたのが、いわゆる「私塾」と呼ばれる民間教育機関でした。例えば萩の松下村塾。江戸時代末期(幕末)、今の山口県で長州藩士の吉田松陰が講義した私塾です。1年余りの短期間でしたが、高杉晋作ら尊王攘夷を掲げて京都で活動した者や、明治維新で新政府に関わる重要人物を多数輩出しました。
 大阪の緒方洪庵「適塾」なども有名ですが、その他にも江戸や京、大阪を中心に、高度な教育を行っていた「私塾」が、多数存在していました。
 こうした「私塾」は、兵学や医学などの学問を教えただけでなく、「いかに生きるべきか」を考えさせた功績が大きかったと思います。
 黒船来航で日本中が大揺れに揺れ、このままでは植民地になるかもしれないという危機感の中、西欧に対応して生き抜くために、「私塾」で学び「志」を立てたのは、下級武士や若者たちでした。

 今の日本もまさにそうした危機の最中にあります。志を持った若者が出てきて、国を牽引していかないと、未来はないという状況です。
 これまでは、大企業や官公庁に入ることがすなわち人生の幸せである、とする人が多かったと思います。ひとたびそこから外れた時には、生きる道を見失うという事にもなりました。
 そのために学校も親も、ひたすら「勉強しろ、勉強しろ」と言い続けてきました。「何をやりたいから」という本来の目的のためにではなく、「とりあえず勉強しろ」だったわけです。
 しかし、どこそこの企業や官庁に入りたい、などという事を目標にするのではなく、例えば「地域を活性化するため」だとか、「回りの人を幸せにしたい」だとかいうような大きな視野に立った目標を持てば、ちょっとやそっとの事では挫折しない人間になることができます。
 それは単なる「目標」ではなく、明治維新の頃に若者が胸に抱いた「志」です。では、「志」とはなんでしょうか。幕末の若者にとっては、欧米の植民地にならぬよう日本を救う事が「志」でした。
 単に「何かになりたい、何かの職業に就きたい」という事だけではない、「公益的なものに役立つ」何かが、つまり自分の事だけでなく、世の中全体にとってためになる部分が、「志」には必要だと思います。
 ひとたびその「志」さえ持てば、何事にも命がけで取り組めるようになります。取り組む姿勢も充実したものになり、精神は充実感に溢れる事でしょう。困難に対しても簡単に挫けてしまう事なく立ち向かっていける事でしょう。
 勉強にも身が入るようになり、勉強する事に幸せを感じるようになります。それは、志す道が、医療であっても、ITの分野であっても、さらには美容師になる事でも、スポーツ選手になる事でも、同じように言える事です。
 目標が果たせずに挫折してもいいのです。例えば、サッカーで一流の選手になれるのはほんの一部です。選手になれずとも、マネージャーでも、スクールの先生になってもいいと思います。自分の歩んできた経験をそこで生かせるでしょう。
 そして私は、そうした「志」を持つ事は素敵な生き方である、というのを申し上げたいのです。それは、自分だけが気持ちよくなればいい、という生き方ではありません。

 そうした「志」をどうやって育てていくか、それが教育に求められていると思います。そうした教育は、ともすると日教組あたりが「思想教育」であるとか「宗教的な教育だ」などと言い出しかねないような事もあって、本来は公立学校でやるべき事ですが、現実としては民間の学校が個性を持って頑張っている、という事だと思います。
 「志」とは、10代や20代の若者のみが持つものではなく、30歳になっても、40歳になっても、50歳になっても持てるものですし、持つべきものだと思います。ものによっては、時期的に早い段階からスタートしなければ達成できない「志」もあるでしょう。大切なのは、小さいころから志を持つ事を、親が語りかけてあげる事ではないでしょうか。

池田 弘